珠洲の被災の状況を‥と名古屋から来られた、象列車がやってきたの作曲をされた藤村記一郎さん・・・いつか 能登のことを・・原発のことをミュージカルに・・と・・         ご案内できたら・・と思ったのですが、珠洲へは 地震の後、初めてでした。

現地の友人が案内してくれるとの言葉に向かった、津波の酷かった宝立町鵜飼の地・・・ なんだ・・? これは何なんだ‥‥とあまりの酷い状態に、目を疑いました。まともに立っている家は皆無と言っていいほどに 揺らぎ傾き、つぶれ果てている街並み‥伸びた夏草の中で、白茶けた残骸が 片付けられもせずに積み重なり放置されたままの町・・

7か月たっても 捨て置かれたままの状態は、ひどいと考えていたことに余りあることでした。しばたく眼に空が青く,陽は焼けるように熱く、片付ける人とてほとんどいない連なる両脇の光景は、復興の言葉などどこにも見当たらず、このまま人目につかないように忘れさせられ、捨て去られるような廃墟としか見えませんでした。かろうじて残っていた戸口には、背丈を越える水の高さが記されています。

能登にある底力が いつか、いつか・・と願う気持ちも根こそぎつぶされてしまうような、言葉にできない哀しさと、無力感気で・・・・けれど もっと知らなくっちゃ、知らせなくっちゃいけない‥とグルグル揺さぶられ続けた午後でした。