1月1日の能登地震・・途轍もない破壊の前で、なぎ倒され、うずくまり もう起き上がれないかと思う日々の数ヶ月・・。その間にも、樹々の芽は膨らみ、春が訪れ、新緑の風が香り・・次々に咲く花々と、夏、秋、そうして揺れる稲穂の金色・・力を貰えるものの前で・・戸惑い、力を貰え、そうして その事にも戸惑い続けながらも、立ち上がる力は確実の身の内に培われて行ったのだろう・・。何かできることはないだろうかと声をかけ、気持ちを贈ってくださり手を差し伸べてくれる多くの方達もいてくださった。
そうして9月末,観測史上初めてといっていい規模の豪雨が降りかかり・・・ ふたたび打ち倒された大きな破壊の前に、どうして…こんなに度重なる試練が与えられるのだろう‥・・ようやく暮らしの方向を定めようとした人たちにとって いかほどの苦しみで・・もう心折れ、立ち上がる力もなくなるのでは‥‥と深い心の沈みようがあった・・・。
今朝、 たくさんの鳴き声を交わしながら、白鳥が渡っていった。 毎年この季節は心がざわめく・・いのちのつなぎように‥厳しいなりわいに、新しい目指すものの方向へ・・ともに空を渡る気がするこの季節だった・・・・そうして ・・そうなのだった 確実に‥・命を繋ぐことはそうなのだった・・
多くの越えねばならない試練があり、新しい場所への不安も喜びもあり、何よりも、いのちそのものを繋いでゆく内からの使命があるのだった。 ただひたすらに・・・・いのちを繋いでゆくことはそういうことなのだと思った。・・
臆することなく、悲しめばよい・・喜べばいい・・越えてゆかねばならない 生きるということの大きな使命のまえにある たくさんの出来事に、全身でぶつかり、打ち伏し、起き上がり、また新たなことに立ち向かってゆく・・・そうして・・つぎにつないでゆくことが、すべて生きとし生けるものの、なりわいなのだろう・・・
翻弄され、打倒され、又、力を貰える大きな自然の力の前に‥どう考えたらよいのか戸惑い続けた数ヶ月・・・ふっと解けた気がした。 すべてを受け入れ、そうして身の力として・・ここにいる・・手渡してゆく・・それがすべての、答えのない答えだと思うことだった