こじんまりとしたマイクロバスの中は でも 22人でびっしりでした。前日金沢であった紫金草(しきんそう)合唱団の24周年コンサートの翌日、参加されていた再生の大地合唱団と 東京・府中・金沢の紫金草合唱団の方達が一緒に、能登の状態を知りたい‥と・・皆さんの能登視察ツァーでした。
1月の地震の後、珠洲の状態を見た時の、余りに酷い破壊の様子は言葉がみつからないことでした。 そうしてそれから9か月余り・・9月の途轍もない豪雨と洪水の被害の様子は これまた どうして再びたち上がることが出来るだろうか‥と心は重く沈み込んだことでした。河川の流域はなぎ倒され流木が山になり、崩れた山肌はいたるところに赤い土を見せていて、道は上がり下がりの崩落と、迂回路の多さ、急カーブに激しさに気分が悪くなりそうな個所が続いていました。
金沢のホテル出発が8時30分・・穴水まで249号線の海沿いをはしり、輪島へと・・泥に埋もれた様子やひしゃげつぶれ果てているのは地震で緩んだ地盤に、かってなかった規模の大量の線状降水帯の雨・・・アーーとしか言葉の出ない酷い様子の町を回って、志賀原発へ、初期の闘いを説明しながら、団結小屋の前から、道の駅で遅い昼食をとり、少し戻って、我が家のじゃり道工房に寄って、千里浜道の駅から金沢駅へ到着が16時30分・強行軍でした。
けれど、合唱団の方たちが伝え続けておられるのは命や平和の大切さ・・前日からの疲れもありながら・・歌い続けておられるお一人お一人が、それぞれに能登の状況をしっかりと知ることの出来る旅であったように思います。
おまけのじゃり道工房への細い道、カーブを曲がってくださったのは、その道1番のベテラン運転所さん・・ガイドさんも兼ねてくださった話術の面白さに助けられながら・・笑いあり、しみじみの手紙や、前日のコンサートへのいっぱいの感動のアンケートの紹介もあり・・視察の強行軍ではありましたが、東京と金沢と能登を結ぶ旅は 最後を合唱で締め、,無事に駅へ到着・・ 歌がつないでくれた、心に残る旅でした。