母の命日・・ 早朝 実家に向かって 里山街道を走りました。能登から金沢のほうへ 朴の木の白い花が ぽっかりと 木立の中そこかしこに咲き、サツキ花(たにうつぎ)のピンクの小花も あふれるほどにしだれています。 藤の花波は終わりに近づき、桐の花の芳香が 鼻をくすぐります。
11年前 突然の知らせに 里へ向かって走る車の助手席で 1秒でも早く着きたいと 身を乗り出して前方を見つめ続けた1時間半余り・・景色は全く見えませんでした。 降りた後、もつれる足で転びそうになりながら家まで走ったのでした
そこいらじゅうの学校建築などを請け負った 大工の棟梁だった穏やかな祖父 そのあと、建築士として仕事をつづけた父の時代・・時代の流れの中で、多くの浮き沈みの中、筆舌に尽くしがたい苦しいとき、もがきながらも、家族を支えた母の笑い声は大きく、その背中に守られながら、つながってこれた家族たち。後年 苦しい中での 大工の家はそれこそ紺屋の白袴で ありあわせの材料の補修になってはいましたが 記憶の片隅にある昭和初期の応接間や倉のたたずまいは、祖父と父の審美眼のたまものだったことと・・ 懐かしく思い出します
すべてが焼失された家の跡は ここであんなに思い出があったことが信じられないくらいに小さな更地に 草が芽吹いています。母がいつもしていた姉さんかぶりをして草むしりをしていると、そのままそばにいてくれるようです。 私がもう7人の孫がいる年になったことを 笑いながら まことにまことに・・・と その礎を築いてくれたことを喜んでいてくれる・・かな ・・ありがと・・かあちゃん