以前のことですが、平和の行脚をしている若いお坊さん達の宿泊場所を探していた時、快く引き受け、交流会まで企画していただきました。 遺骨収集にパラオまで何度も出かけられ、国連の前で戦争反対の祈りを唱えられた方だと知ったのは 後のことで、気さくな笑顔の大きな包容力のある方でした。 本堂で 家族展もさせていただきました。
数年前 寒い霙の日、選挙に出られる女性の推薦人を引き受けてくれないだろうか・・と訪ねてこられたとき、よくわからない私は、あまりに重いことで、お引き受けできなかったのでした。その折、今、病を持っていて残り少ない日々にできるだけのことをしたいのだが・・と寂しそうに帰って行かれたのが・・ずーっと、申し訳ないことをしてしまったと、心残りなことでした
戦争のない平和な世界を求め続けられたご努力は 逝ってしまわれた後も、なんて大きな方が去って行かれたのだろうと残念な気持ちでいっぱいです。 木彫をしている夫も同じ気持ちでした。「河崎さんのお姿を彫りたいと思う」と木の前に座ったのは亡くなられて少し後でした。けれど あの優しい大きなお姿にはなかなか近づけず、1年半近く像を前にして苦心していましたが、ようやくノミを置くことができたようで、 待っていてくださる奥様や息子さんがいらっしゃる本延寺に寄進させていただくことになりました。
ロシアのウクライナ侵攻・・どんなにか許しがたい思いを持って、真っ先に声を上げ先頭を歩いてくださったろう河崎さん、多くの方たちと一緒に、私たち二人もその後を歩いてゆきたいと思うことしきりのこのごろです。