2015年の幕があいて、もう10日過ぎようとしています
今日は 大津地区の左義長でした。
以前は 豚汁や ぜんざいが振舞われたのですが
だんだん簡略化されてしまったのがすこし淋しいです
門松は 2軒分 哲夫作でした。
百両や、南天の赤い実は お腹を空かせた鳥と分けあったので
色気は少し足りませんでしたが
玄関口が、賑やかでした。
薪ストーブを焚きながら作業小屋で彫っている哲夫の新年の作品は
”行き暮れて”という題で、 遊行僧らしいです。
弘子は 昨年末から、三春滝桜の花嫁のれんの下絵にかかりきっていました。
新年をまたいでようやく出来上がり、
今は、少女2人が手を差し伸べて”つなぎあおう”という思いの染額にかかっています
2人とも僅かに残っている集中力を費やして
日常生活は 笑うしかないトンチンカンですが
有難いことに着膨れながらも、元気です。
2015年、じゃり道の片隅で生まれるものに
いのちや平和への願いが込められますように
今日は 大津地区の左義長でした。
以前は 豚汁や ぜんざいが振舞われたのですが
だんだん簡略化されてしまったのがすこし淋しいです
門松は 2軒分 哲夫作でした。
百両や、南天の赤い実は お腹を空かせた鳥と分けあったので
色気は少し足りませんでしたが
玄関口が、賑やかでした。
薪ストーブを焚きながら作業小屋で彫っている哲夫の新年の作品は
”行き暮れて”という題で、 遊行僧らしいです。
弘子は 昨年末から、三春滝桜の花嫁のれんの下絵にかかりきっていました。
新年をまたいでようやく出来上がり、
今は、少女2人が手を差し伸べて”つなぎあおう”という思いの染額にかかっています
2人とも僅かに残っている集中力を費やして
日常生活は 笑うしかないトンチンカンですが
有難いことに着膨れながらも、元気です。
2015年、じゃり道の片隅で生まれるものに
いのちや平和への願いが込められますように