8月2日 志賀原発のある地元、志賀町での 被爆ピアノと梅原司平コンサート
挨拶文はこんなでした。
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みなさん  きょうはようこそお越しくださいました
福島を歌う司平さんの歌声を能登で・・・と願いながらも、この小さな町で出来るだろうか・・という不安と、でも今、子ども達にできることがしたいという思いでいっぱいでした。
叶えてくださった司平さん、ピアニストの鈴木さん
行ったことのない能登へ是非・・と4トントラックで広島から駆けつけてくださった被爆ピアノの矢川さん・・
金沢から・・県内外から・・そして地元から・・、沢山の方たちに応援していただきながら、
今日の日にたどり着くことができました。
実行委員一同、心よりお礼を申し上げます。
里山、里海に囲まれた能登は、そこからの恵みを受け取り、感謝し、分かち合い、
素朴な暮らしを手渡してきた、いのちあふれる場所です。
孫たちを見守る年になり、以前にもまして
”ここにこんなに豊かなものがある”・・・・・と胸迫る思いとともに、
どんな時も支え続けてくれるこのふるさとを、子供たちに手渡したい・・・と心底、願います。
けれど、揺れ続ける日本の上で、私たちは、ふるさとが1瞬にして奪われることを・・・
昨日までの暮らしが、あまりにも無残に断ち切られることを知りました。
その耐え難い苦しみを目の当たりにしてさえ、
消えぬ毒に目をつぶり、福島で悲しみ続ける人を忘れようとし、
広島を忘れ、殺し合いを許そうとし・・・ 
子どもたちのこの先への不安は募るばかりです。
”私たちは、いのちを繋ぐためにここにいるはずで・・・・・“
かけがえのないものたちを、苦しめるためにいるのではないはずで・・・・・“
小さな過疎の町の選択肢のなさは身にしみながらも
投げ出さず、垣根を越えて、できることを考え続けたい・・  
そのことが、私たちが子どもたちへ贈れる明日への希望だと思うのです
広島を歌い、福島に寄り添い・・喜びや悲しみを分かち合いながら、歌い続けてこられた司平さん・・
焼け焦げた広島の地から、傷付いたピアノとともに全国を駆けずり回っておられる矢川さん
ひたすらに、命と平和への想いを紡いでこられたお二人は
きっと その方向を向く勇気と探し続ける力を届けてくださると思っています。
そして今日ここで、その想いをともにつなげてくださる皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいです 
本当に有り難うございます