金沢 音楽堂の朗読の原稿はこんなのでした
            長いのですが 載せさせてくださいね
願う
         
一瞬の地球の身震い・・・・押し寄せた津波の凄まじさ。
眼に見えぬ放射能・・・・さまよい続ける、何万人もの人たち・・・
 
国は国民を守らないのだ・・・
     真実は隠されるのだ・・・
     私たちは捨てられたのだ・・・・
     私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です・・・・
2011年さよなら原発での武藤類子さんの言葉に、胸を衝かれる思いだった。
志賀原発から10kmのところに暮らし、不安は募ってはいたけれども、
まさか・・これほどまでに脆いものだったとは。
福島の哀しみは、逃れられぬ明日の私たちにほかならない。
 
能登に暮らす一人の母親として、子を抱く喜びを染めてきたのだけれども、
改めて気付かずにはいられなかった。
私の中にも鬼がいる・・・・・
髪を逆立て、目尻を釣り上げ、奪われてなるものか・・と子を護る母・・・
誰もがきっともっている、もう一人の母の姿・・
――“鬼となりても”という一枚を、染めずにはいられなかった。
もう一枚は “皆、どこへ行った ”
という題で、水の中を小さな女の子が、鳥や花や木々や動物たちと
流れてゆく構図で、描いている間は鼻の奥が痛み続けた・・・・ 
――みんな・・みんな、どこへ行ったー
かけがえのない人たちを亡くし、住み慣れた場所を追われ、
苦しみの中で、もがき続ける数え切れない人たち・・・・
触れることも叶わぬ花・・・・青く伸び放題の草・・・・
繋がれたまま、責めることも知らず、飢えてくずおれた、優しい瞳の動物たち・・・・
3年が経っても、まだ空虚な豊かさを追い求めようとする今の日本には、
哀しみを統べる力も、先を見ようとする姿も見えては来ない。
ちいさな鳥をみたのは一昨年の夏だった。
低い庭木のてっぺんで、焦げ付くような灼熱の日々・・
草木をなぎ倒す豪雨の日々・・
翼で卵をかばい続け、命がけでヒナを孵した母鳥、
喜びを囀り続けるその姿に、自分が恥ずかしく、圧倒される思いだった。
私たちは、一体何を残して行こうとしているのだろう・・・
己が身の内で、何万年もの旅を経て、来てくれた小さないのちたちを
身をもって護るどころか、消えることのない毒の海に置き去りにして、
この子たちの未来を・・生きとし生けるものの生業を食い尽くすために、
今の私たちの安楽さがあるとしたら・・・・・・あまりにも愚かすぎる。
受け継いだものを、明日に手渡すために、私たちは、ここにいるのでは・・・・
哀しみを繰り返さず、いのちの方向に舵を切ることでしか、
詫びようがないはずなのでは・・・・・・
ちいさな母鳥と同じく、わたしたちもまた、
 誇らかに、子を抱きたい・・
高らかに、喜びを謳いたい・・    
時に無力感に苛まれつつも
わたしたちは いのちをつなぎたい・・・
明日への希望を手渡したい・・・・
諦めないで・・・投げ出さないで・・・・
太古より、産み育んだ母たちの
願いよ、願いて大河ともなれ

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