原発から10㌔、子どもを守れるのだろうかという不安に、引っ込み思案でしゃべれない臆病な人間が、いつの間にかぽつぽつとしゃべるようになっていました。 原発の言葉を出すだけで、距離を置かれてしまう狭い地域で  けれど何もわからない若い夫婦にこれもまた地域ぐるみで本当にやさしくしていただけました

いつも玄関先に野菜や魚やお米が置いてあったその優しい土地に降りかかる 過疎の地ゆえの無理難題・・そうして今回のあまりにも無残な破壊された光景   

事故から 11日目  書かずにはいられなかった文です

 

能登を守って  (能登地震のさなかで)

  1月1日の夕刻、かって経験したことのない大きな揺れに飛び出した目の前で 家が大きく揺れ続けていた長い時間。本棚もタンスも倒れて壊れ、散らばった家の中で子ども達、孫達と犬さえも震えながら、度重なる余震に怯えた不安な一夜。ようやく明けた朝、ヘリコプターの爆音、鳴り響くサイレンに、情報がない中で10㌔の近くにある原発は大丈夫?と不安は募るばかりでした。

志賀原発差し止め訴訟では、国に追従し判断を避ける裁判所、北陸電力の言い逃れは、原発直下の断層を、活断層ではないとし、再稼働に向けて、進んでいます。

大きく波打ち、揺らいだ能登半島・・抗うことの出来ない自然の力の前で、外部電源一部喪失や、変圧器油漏れ等も、またしても 安全だと言い繕う隠す体質に、不安は拭えません。

福島の信じられない大事故に、すべてを失った方たちの深い絶望感や「せめて教訓として・・」と、絞り出すような訴えにも耳を塞ぎ、何を目指しているのでしょうか。

亡くなられた多くの方々、全壊、半壊の家の下の数えきれない方達、孤立したまま連絡の取れない地域や、不安に震えながらの避難生活・・・

余りにも甚大な被害、復興のとてつもない困難を前に、言葉がありません。

辛抱強く、様々な困難をも耐えてきた能登・・素朴な暮らしを手渡してきた恵みと優しさにあふれていた、いのちの半島・能登・・

― どうか、どうか、守ってください ―